専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

家を買おうとしたら、母がしゃしゃり出たー。(1)

 みなさん、こんばんわ。
 画像を張り付けると便利ですね。
 今後も、画像活用させていただきます。

 さて、結婚して6年目にして、私たち夫婦も家を買うことに。
 ダンナが関西の事業所にいるとき、きっかけはやはりバブル。
 そのころ関西にも関東からバブルの波が押し寄せてきてた。関西でも土地がどんどんあがりはじめて、このままでは一生家が持てないと、焦ったのが一つと。

 すんでいたアパートの家賃が上がりーバブルで大家さんが土地ごとアパートを不動産会社に売却。不動産会社、強気に更新料(二年毎)と家賃を大幅アップしてきたー結果、家賃と銀行ローンがほぼ同じくらいになった。

 私毎日、新聞広告みてよさげな物件を発見(新築の集合住宅)。ダンナと相談して「これなら、なんとかローンも返せそうだからいいだろう」と。で、子供連れて下見に行きました。完成して入居するのは一年以上も先。まだ、モデルルームもない。

 立地的にもよかったので申し込むことに、その頃は抽選倍率もすごかった。いろんなバリエーションから3LDKをチョイス(これでも、その時住んでたアパートの3倍くらい広かったし、ベランダが通常のサイズより広かった)。

 そしたら、母がしゃしゃり出てきた。ちょうど父がインドへ長期で技術支援に。母が父の単身赴任先の部屋の片づけに来て、その帰り突然やってきた(「おねえちゃんが、こわれた」参照ください)。

 ちょっと横道にそれますが、このあと父、インドに「ドはまり」で。父が研究以外のことに熱心になったの見たの初めて。いろいろなインドのお土産持ってきて「インドはいいぞ、お前もいけば良さが分かる」と、すすめられた。-このインドの話もまた、書きますね。

 戻ります。
 母、テーブルの上に広げられたパンプレットとかローンの計算用紙とかみて「家買うの?」と。隠しておく理由もないので聞かれるままに詳しく説明。そしたら、間取りのパンフレットを見てた母の目が「キラーン」と、かがやいた。そして、「3LDK」止めて、「4LDK」を申し込みなさいと、ほぼ命令口調。「広い方が良い」と。

 私、唖然。「なんで?」ー子供がもっと大きくなったら、買い替えればいいいし、なりより(4LDKにすれば)ローンの支払いがかなり厳しくなると。そしたら、母
「私(母)が足りない分、援助してあげるから4LDKにしなさい」といつものように高圧的に。それから何を言っても聞かず「4LDK」で申し込みなさいと言って帰ってった。

 ダンナに相談したら、「まあ、断る理由もないし」ということで、母の申し出を受けることに。なぜなら、母は「3LDK」から「4LDK」に上がった分の差額を援助してくれるだけで、私たちが負担するローンの支払額は変更なし(なんじゃ、それは?)。まあ、広く住める分助かるけどね。私「4LDK」で抽選申し込みました。

 母のこの変更要請、実は理由があったんです。その時母、NT〇の株でほぼ8桁に迫る損を出していた。勿論、父には内緒。なんとかそれを埋め合わせしたくて私らの「家を買う」話に乗ってきた。父に謝るにしろ、自分が援助して買わせた家がバブルで爆上げすれば、損失の埋め合わせになると思ったらしい。それに、私に恩を売っておいて老後の面倒を見させようとする腹、母には一石二鳥。

 抽選、当選しましたーで仮契約に。母、私らについてきました。ちょうど父も帰国していたのでついてきました(母が来れば父も来る)。でもその時はちょっと違ったみたい。父、母が援助した話を聞いてさすがに怒ったらしい「せっかく、夫婦二人で考えて、やっているのに」「なんで、母親がいらぬ差し出口を挟む」「いい加減、子離れしろ」と。で父が来た理由は、ダンナと私に謝るため。

 恐縮する父に、ダンナ「いいです。いいです。助かります」と。母それを聞いて「ねえ、そうでしょ」と、全然反省していない。「仮契約」が終わり、やっと一息ついていると。母が私にとんでもない難題を持ってきた。 
                           つづきます。