専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

私と陰口

 こんばんわ、今晩も良いお天気ですね。
 気が付いたら、多くの方に見ていただいてるようで励みになります。
 コメントもいただいているようでありがとうございます。

 書き溜めた日記を見ながら、忘れた部分は前後関係で想像して書いています。なので話がふくらんだり、歪曲されているかもしれません。ご容赦ください。
 自分にとってインパクトのある出来事をピックアップしているので時系列では
ありません。平気で10年くらいぶっ飛びます。ではー

 私、背が高くていつもぼんやり(ボーっと)していました。受け答えもとんちんかん、それにへたれだったので(自分では、それが原因だと思っています)よくイジワルをされました。小学校の高学年の時に転校して、それから高校卒業するまですっとです。暴力的なものはありませんでした。

 すこし、悲しいお話です。苦手な人はスルーしてください。
 
 それはこんなイジワルです。
 クラスで私を嫌っているグループの人たちが、私にそのグループ内だけで通じる名前を付けて(例えは、”ぶりっこ”とか=ちょっと古いですね)それで私の席の近くまで来て、その名前(”ぶりっこ”がさあ、、、、)で悪口云ったり、当てこすりするんです。私、休み時間は教室や図書館で本を読んだりしてたんですが、わざわざ私の近くまで来て、聞こえるように云うんです。お友達と話してる時もです。
 
 本人にも直ぐそれが”自分のことだって”わかりますよねぇ。だって自分(私)の失敗とか、どじった話してるんですから、ーいくら私でも自分の失敗は覚えてます。当然私に分かるように話して、私の反応見て楽しんでるんです。私、なるべく表情に出さないようにして、無視していました。が、後でよく泣いてました。

 しつこいと場所移動したり。でも移動するのも、私がその陰口に気が付いていることを相手の人たちにわからせるようで嫌だった。だから、なるべく無視してた。
そのうち、クラスのほかの人たちにもすぐにその状況がわかるようになります。私がなんてよばれているか。だから、マネするグループも出てくるんです。

  ・私を嫌って、いじわるするグループ
  ・私をからかって面白がってるグループ(マネするグループ)
  ・私の存在を全く無視している人たち
  ・普通の人たち
  ・私のお友達(数少ない) 
ーてな具合にクラスが分けられるようになります。

 そのうち他のクラスにも、私がなんて呼ばれているのかわかって、わざとらしくその名前で私を呼ぶ人が出てくるんです。私、目の前でその名前でよばれても無視してたのですが、ふと顔上げると「あれ、これ〇〇のことじゃなかったっけ?」とか言われて。すると意地悪してるグループがそれをみて笑うんです。

 これが毎年繰り返されて、最初はとても嫌だったのですが、そのうち慣れてきて
「もうどうでもいいや」と、思うようになりました。親や先生には言いませんでした。私のともだちも、同情して慰めてくれましたが、敢えてそのグループに対して文句を言うことはしませんでした。それにその陰口のターゲットは私だけではなかったから。そして、どこのクラスにも多かれ少なかれ、そんな風潮はありました。

 まあ、その陰口にも波がありましたら(何も言われないときが一か月くらいあったり)、高校生活はまあまあ楽しかったと、思います。

 卒業して、母のたっての希望でガッコ―に進学しました。受かったのはすべりどめのすべりどめで、母が行かせたかったガッコ―は全落ち。私ほんとは父のように研究者になりたかったけど、行ったのは全く興味のない文系でした(文系の方々もうしわけありません)。

 他にするあてもなく、ほんとはガッコ―だめだったら働きたかったけれど、それは母が「絶対ダメ」。仕方なく通い始めました。文系のクラスでは上記のようなイジワルもなく、友達も何人かできました。

 ところが、入ったクラブで同じようなイジワルに遭ったのです。ほんと吃驚しました。なんか私そんな星の下にでも生まれているのかと、運命を呪いたい気分でした(ちょっと、これは大げさですね)。

 私、普段ぼーとしてて 何か考え事したり、集中したりすると口ポカンになったりするんです。その状態を言い表した英語の単語(形容詞)があるのですが。それを私の枕詞にされていたんです。例えば日本語の表現だと「鳩が豆鉄砲を食ったよう」。

 しかも、私の陰口を始めたのがそのクラブのある男性のグループ、女性は皆さんいい人たちばかりでした。そのグループと私のグループは直接は関係なかったのですが、その人たち(男性)が私の顔をみてひそひそ話てるの見たら、「また、陰口いってる」と思えて気分がいいものではなかったです(そのクラブはいくつかのグループに分かれて活動していました。また詳しく書きます)。

 それでも私クラブやめなかったのは、家でいるのが苦痛だったから、このクラブを我慢してつづけたら、こんなダメな私でも何か得るものがあるかもしれないと思ったから。いままで、嫌なことからずっーと逃げてきて、逃げてばかりいるのはダメだと思ったからです。今考えたら自分で自分を追い込んでいたのかもしれませんね。

 そこでダンナと出会うのでが、それはまた後のことです。