専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

専業主婦はお金が大切ー保険の転換ってなあに?(2)-

 みなさん、こんにちは。

 

 ダンナが四十半ばのとき保険の更新(特約等の保険料が上がるー倍以上になる)時期になり、保険の外交員さんよりその保険(更新)を止めて新しい保険に入るように勧めれた。保険料も従来通りで、しかも保障の内容も(更新するよりも)手厚くなる!私、単純に「ラッキー」と思い、新しい保険に乗り換えようとした。けれど・・・・

 

 ダンナが「なんか、胡散臭い」と調べてみることに。そしたらとんでもない事実が!

 

 従来の保険、バブル後期(ダンナ20代後半)に入ってて保険の標準利率(予定利率)が5.5%、満期に(祝い金)500万円+α(運用益)が貰えることになってた。更新の時点で既に200万以上が祝い準備金として蓄えられていた。-で、貰った契約内容をみると、その溜まっていた準備金を、新しい保険の原資として使用するというもの。

 

 せっかく貯めた200万円以上が新しい保険に入ることでチャラ、だから保険料が上がらずに補償内容が手厚くなる!しかも、その時の標準利率な、な、なんと1.5%( ゚Д゚)

その外交員さん、ペーパーワークだけで私らが十数年かけて貯めた200万以上をチャラにして、しかも新規契約を獲得する。外交員として保険会社への貢献度大?

 

 契約書類の最後にたった一行だけ、”尚、・・・準備金は新しい保険の原資に転換するものとする” ほんとにたった一行。それに何「原資に転換」って?もっと素人にもわかりやすく書いてよ。てか、何の説明もなかったじゃん。外交員さん!ダンナ、「これで『貴方の大切な資産です長く続けてくれ』の意味が分かった」とニヤリ。

 

 私、ダンナに平謝り💦ついでにダンナの態度に腹立てたことも謝っといた。うちのダンナ「感情とか意地」で動くようなことは滅多にない、私よく知ってんだけどね。それで思い出したんだけど、実は私、ダンナが東京から関西へ転勤した時、保険を変更(かけかえ)してるんだよね。一番最初に入ったのは、東京へ転勤して直ぐの時。

 

 同じ保険会社で、同じ積み立て型の保険。やっぱり「補償内容が少し良くなって、保険金も変わりませんよ」という謳い文句だった(同じ外交員さん)。「もしや」と思って書類を引っ張り出してみたら、「やっぱり、や・ら・れ・た」で。その時、お祝い準備金として溜まっていた約20万円を新しい保険の原資に充てられていた。

 

 しかも、標準金利も6%➡5.5%へ。その結果、満期が二年弱遅れることに(500万円+αもらえる時期が後らされた)! 後で分かったんだけど、母も同じ目にあったらしい。父の生命保険で満期に貰えるはずの金額がもらえず。保険会社にたずねたらー保険が何度か転換されてて、その都度溜まったお金が新しい保険の原資になってた。

 

 保険会社に「新しい契約に、署名捺印いただいてますよ」「よかったじゃないですか、何事もなくて」で片付けられたとか。母に「そんなことがあったんなら教えてよー」って文句言ったら、母「私、保険の仕組みがよくわからないから、みんなこういうもんだと思ってた」と。私、直ぐに妹に電話してー

 

 「絶対何と言われようと、旦那さんの生命保険はかけかえちゃダメ」と、伝えておいた。それで私ら、更新時に保険料が上がる特約を外して、その分の保障は共済の掛け捨てに入ることにした(でも、割戻金があります)。それで、従来の保険(基本契約)はそのまま継続することに(500万円+αは貰える)。

 

 私、そのことを外交員さんに伝えるのが嫌で(あんなやつ、話すのも嫌!)で、ダンナにお断りの電話してもらった。ダンナ「あまりにも説明が杜撰、ほんとに胡散臭い保険を売らんといてください」と外交員さんに伝えた。私もそれを隣で聞きながら、「ホントに胡散臭といったらありゃしない」とブツブツ。

 

 やはり、それを子供たちが隣で聞いてた。なぜかその「胡散臭い」という言葉、子供らが気に入ったらしく、家でその言葉が流行った。子供ら、電話がかかるたび(どの電話にでも)に「胡散臭い保険売らんといてー」と言い出す始末。ダンナ、大笑い。でも、あきらめきれなかったのかー、その外交員さんから2,3度私宛に電話があった。

 

 世の中、財布のひもは奥さん連中が握っているから、私を抱き込んで翻意させようと思ったんだと思うー「ほんと、私って軽く見られてる」。それで私「うちの保険は全てダンナが決めることになってますからー」と電話をガチャン。子供ら私の周りで「胡散臭い保険、売らんといてー」と、大騒ぎ(多分その声、聞こえていたんだと思う)。

 

 外交員さん、とうとうあきらめたのか、特約を外した従来保険の継続(更新)書類がうちに送られてきた。今はそんなことないと思うけど、当時は「良いことはたくさん説明して、不利なことはちょこっと触れるだけ」そんな風潮がまかり通っていた。ダンナのおかげで、祝い準備金その時の倍以上になりました。先が楽しみ、楽しみー。