専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

二男の通園路(1)

 みなさん、こんにちは。

 以下はあくまでも私たち夫婦(ほんとはダンナ)の個人的な意見です。

以前書いた記事と重複している部分もあるとおもいますが。いま・・・

 

 外で小さな子供たちが遊ぶ声がします。サクラが咲いたと云う話を聞きました。

それで、その中の何人かは4月になって幼稚園へ通うことになるのだろうなぁと考えていると、二男の幼稚園のころー大変だったことを思い出しました。以前、何度か書きましたが二男は独特な感覚をもった子でした。とても、私の手に負えませんでした。

 

 まず、幼稚園に通いたがらない、家で遊んでいる方が楽しいから。それから幼稚園の園長先生が大嫌い。何故嫌いかと云うと、自分が通うのが嫌な幼稚園のボス(二男はそう考えていた)。なので、この人がいなくなったら幼稚園もなくなって、なくなると通わなくてよいと思ってた。とても短絡的ですよね、それで大嫌いになるのだから。

 

 毎朝、園の入口で園長先生たちがお迎えしてくれるのですがーそれがまず第一の難関。二男、通園路を歩いていて向こうに園長先生の姿がみえただけで足が止まってしまう。無理やり連れて行こうとすると猛ダッシュして園長先生の横をすり抜けていくか、家に逃げ帰る。家に帰ったら、その日はお休みです。

 

 そのうち慣れるだろうと思っていたけど甘かった。二男、幼稚園がますます嫌いになっていったので、園長先生への嫌い度もアップ。でも私、他の園児さんのように二男を通わせたかったからー周りの目もすごく気にしていたー、毎朝二男の手を引っ張って幼稚園まで連れて行ってた。

 

 園長先生もなんとか気に入ってもらおうと、二男がやってくるとおもしろい恰好をしたり、ハグ🤗しようとしてくれたり。でも二男、それをますます嫌がって園長先生に唾をかけたり、先生の足を蹴飛ばしたり手を爪でひっかいたり。「嫌い」がどんどんエスカレートして通園路まできらい、通園路を通っている親子(園児さん)も嫌いに。

 

 もう私毎朝涙目でした。「なんで、ほかの園児さんと同じようにできないのだろうって?」。「怒りまくって、泣きわめく」二男を連れて行くのもストレス。周りの親御さんからジロジロみられて、「私たち親子のことをなにかいってるんだろうなぁ」と考えただけで、外出するのが嫌に。子供と遊ぶ以外はずっと家にこもるようになった。

 

 他に嫌だったのが、憐みのこもった目、同情的な目、好奇の目でみられることかな

。ここらへんは、母の影響だったと思う。-で、ダンナが見るに見かねて朝の引率を引き受けてくれた。ちょうどダンナが仕事を辞めた時期だった。ダンナ、「どうすれば園にかよえるのか?」二男に訊いた。勿論、「行かない」という選択はダメ。

 

 二男の出した条件、「自分だけ(専用)の通園路で」、「園の入口で園長先生に会いたくない」、「みんなが(他の園児さんと親)通っている時間帯は嫌」、「別の入口から入りたい」とまあ、言いたい放題。ダンナ直ぐに園長先生と交渉、園長先生「先生に(二男を)渡すまで、お父さんが一緒についてきたら」という条件で了解。

 

 「ただ通園路以外の所を通ってケガをした場合、保険金はでませんよ」、「でも、お父さんが付いているので大丈夫でしょう」と。ダンナ「個人で保険にはいっているので、もしけがをしても大丈夫ですよ」と。これはホントの話で 私保険大好き(適切かどうかは別)なので、二男は学資、共済(国民、生協)等に加入してた。

 

 ダンナ、了解をもらうと二男に通う道(二男だけの通園路)と時間帯を決めさせた。

通園路は二男のお気に入りの道ー実際の通園路より短くて幅も狭く車は通れない。時間帯はみんなから10分ほど後ろにずらして、入口にはだれもいないようにして、ダンナが二男を連れて園にはいり、直接先生のところまで連れて行くようにした。

 

 私、それをみて「そんなことをしてまで通わす意味があるの?」「二男のワガママばかり認めていたら、もっとワガママになって親のいう事を聞かなくなる」、「そうなると将来困るのは二男」と反対しました。私、母の教育が染み込んでいたんですねぇ。「なんでもみんなと一緒がいい」「みんながやるようにやりなさい」という考え。

 

 ダンナ、それを聞いて「子供にもそれぞれの個性があって、問題ない範囲でそれに合わせることも大切なこと」と。私「そんなこと認めてたら、余計わがままになって好き放題やりだす、手に負えなくなる」の一点張り。ダンナ「問題の原因や理由がわかっているから大丈夫」と。でもその時の私、ダンナのいう事が信じられなかった。

                              つづきます。