専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

子供の走るのが速いということ、(2)

 

 みなさん、明けましておめでとうございます。

 やってきましたね。オリンピックイヤー!私の大好きなフィギュアスケートがありませんが、いろいろなスポーツを(テレビで)楽しみたいと思ってます。ダンナはボランティアに行くと、張り切ってますがどうなることやら?

 

 それから、12月もたくさんの方が見に来ていただいたようでありがとうございます。

PVが100を越えた日もあったようでホント感謝、感謝です。さて、前回の続きです。

 

 幼稚園の頃、走るのが速いというだけで(言葉も達者だった)ちやほやされていたU兵と、二年生(小学)で同じクラスになった三男。新学年初日から「今日の放課後、〇〇(遊び場所です)集合」と、お達しが。三男、オキニの友達がいるのでソッコーお断り。そしたらU兵のヤツ「せっかく遊んでやろうと思ったのに」だって!

 

 一年間でU兵の増上慢にますます磨きがかかったよう。徒競走ですでに天下を取ったような鼻息(確かに一年の運動会、U兵は徒競走の一番速いグループで一位だった)。5月の授業参観でU兵母に会ったら、初っ端に「走るの速くなった?」って、何訊いてんだよ! でもヘタレの私「U兵君、学年一速いんですってねぇ」と、追従笑い。

 

 U兵 言葉も達者だから授業中手を上げて発表するする。一、二年生レベルの発表はほぼ何をいってもオッケイ、後は先生が適当に合わせてくれる。そして、必ず褒めてくれる。U兵のやつますます調子づいて、それ以上に調子づいたのがご両親。一学期の成績「U兵ちゃんはもっといいはず」と、学校にクレームをつける始末。

 

 それで、夏休みになったんだけどーそうは問屋さんが卸さないのよね。二年生になると、子供らも自分の体の使い方を覚えてくる。走り方もそう、こうすればもっと走れるようになると気が付く(もちろん体の成長で、自然に速くなる子もいる)。二学期開け、直ぐに運動会の練習があり、徒競走のグループ分けも始まった。

 

 第一回目の練習で、U兵クラスで3番目に落ちた。その帰り、友達をつかまえてはさんざん「今日は足が痛かった」と、ほざきまくり。そんなら、走るな!と、三男が笑ってた。第二回目から、U兵の逆襲が始まった。毎回フライングするし、抜かれそうになったら足をかけたり、腕を引っ張ったりーなりふり構わずにー。三男、あきれてた。

 

 でも先生は公平です。徒競走、学年三クラス(約百人)から7~8人タイムの近い児童さんでグループをつくるんだけど、U兵一番速いグループには入れず、二番目のグループへ。その日の帰りもU兵君、さんざん「今日は足が痛かった」と騒ぎまくり、「足が痛いのなら走るなよ」。しかも二番手グループでもトップじゃなかったらしい。

 

 で運動会当日、徒競走、二番手グループさん出走。U兵健闘むなしく二位でした。

ゴールで着順判定の先生が順位を叫んで、上級生から順位を書いたカード札を貰って、その後順位を書いた旗を持ってる上級生の後ろへ並ぶーこんな手順です。U兵がゴールした時、先生がひときわ大きい声で叫びました。

 

 「U兵君、2位、2位だよ。2番の札もらって、2番の旗の所へならぶ」「U兵君、いいかい2位だよ」先生、ひつこいくらいにU兵君2位を繰り返す。後から聞いたんだけど、予行演習の時、U兵のやつ2位にもかかわらず、1番の札もらって1番の児童さんが並ぶところへ行ったらしい。しかも、確信犯(フライングも2回したらしい)。

 

 ところがU兵のやつ親には自分が走るグループが一番速くて、自分はその中で1番だったと報告してた。その日U兵一家用事で、二年生の徒競走の後、運動会を見に来た。U兵母見かけたんで挨拶したら、「うちのU兵一番だったんだって」ってU兵から聞いたらしい。私「ゴメン、〇〇(三男)とグループ違うのでわからなかった」と。

 

 私としては気の利いた答え。そしたら「もしビデオを撮ってたらダビングさせてほしい」と頼まれた。確かにうちのダンナが2年生全部の徒競走撮ってるけど、、、もちろん着順を伝える先生の「U兵君にぃーい!」の絶叫とその後のセリフも入ってる。私、巻き込まれるのいやで「ゴメン、ビデオは自分の子しか撮ってない」と。

 

 その後、U兵母同じクラスの父兄さんに行き合うたびに「ビデオもってないか?」聞いてた。それでー多分誰かから借りたんだと思う。その後、U兵母の勢いがなくなったからーもう自分の子供が一番速いんじゃあないってことに気が付いたのだろうネ。U兵も「走るの1番、1番」って云わなくなった。次に彼がシフトしたのは「縄跳び」。

 

                          つづきます。