専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

「やる気がないのなら、直ぐ帰れ」が口癖の先生、部活動でどこまで求める?

 みなさん、こんにちは。

今日は、良いお天気なので子供の布団を干しました。って・・・こんな風に書いてますが、実際に干しているのは、ほとんどダンナです(〃ノωノ)。

 

 三男が中学生の時の話です。

 三男は体育系競技の部活動(クラブ)に属していました(高校生になっても続けています)。小さいころからその競技がすきで、自宅でも自分で考えてトレーニングをしているので、ご近所からも「熱心ですね」と、よく声をかけられたりします。三男は、その競技を毎日続けて、自分の体を鍛えることを目標にしています。

 

 つまり、その競技でいい記録を出したり、上の大会(県大会⇒全国)へ行くことには

あまり興味をもっていません(少しはある)。「毎日一所懸命にやってれば、記録はついてくる」ぐらいのもの。だから、クラブの練習にも毎日参加して、前準備や後片付けも普通にやってました。親の目から見たら、「かなり頑張ってる」ことが分かります。

 

 ただ三男、心の中の「思い」が態度とか表情にあまり出ない、それに口数も少ない(口下手)ーいつもおとなしくて「ぼんやり」としているタイプ(クラスの友達の話)。それから邪魔くさがり(うちの子供の特徴ー私に似てる)なので準備運動なんかも、傍目には「適当にやってる」としか見えない。練習もそうーかも?

 

 指示された通りやっているんだけど、なにか「上の空」わるく言えば「だらだら」やっているようにしか見えない(勉強もそうだから)。顧問の先生はそれが気に入らない。その先生まあまあ熱血タイプ(松〇修造さんまではいかない)、それに自身も学生時代はその競技で一流といわれる部類の選手だった(生徒さんに自慢してる)。

 

 なので顧問先生、三男の練習態度が気に入らない。先生の持論ー本当に気持ちが入っているのなら、必然と態度にも表れるはずだ。だから、三男が一年生の時から、練習中は「もっと気合をいれろ」「もっと声を出せ」と。しかし、三男も表面上だけ先生に合わせられるほど器用じゃない。逆に「言われた通りやっているじゃない」的な態度。

 

 それが先生は気に入らない。一年生の二学期くらいから三男に「やる気がないなら、帰れ」と。それで三男も「はあ、今日は調子がでないので帰ります」と、帰る。私それを聞いて腹がたった「たかが中学生のクラブ活動でなにそれ」「外見だけで決めつけないでよね!」と。ただ三男は、”先生の言葉”をまったく気にしていない。

 

 気にしていないので、次の日は普通通りクラブ活動に参加、いつものように練習。それを見て先生「かわいげのない奴」、先生の感覚からすれば「参加するならするで、私に一言あって然るべき」(これは私の*推測です)。それから、たびたび「やる気がないなら、直ぐ帰れ」を連発されるようになった。それでも三男全く気にせず。

 

 二年生になって、新入生の指導が忙しいのもあって、三男あまり顧みられなくなった。でも、ときどき「今の練習態度では、大会に出てもいい記録は出せない」と、注意されていた。私「別にクラブ活動の規律を乱したわけでないし、先生の『お気』になるためでなく、本人が好きで一生懸命練習してるのにー」と、先生の指導方針に違和感。

 

 三男もくもくと練習を続けて、二年の春・夏・秋の総体で連続入賞を果たした(しかも大会前の先生のアドバイスをことごとく実行せずー意図的ではなく結果的にそうなった)。先生がいくら「あいつのやり方では、大会は勝てない」と思ってても、周りは誰もそう思わなくなった。「すごい奴だ」と。

 

 次に顧問先生「お前のレベルなら、ざらにいる。ましてや全国大会に行けばごろごろ履いて捨てるほどいる」と、云うようになった。直に聞いたわけではないが「三男を鼓舞するため」に言ってくれたと信じたい。三年生になった三男、春の総体で優勝、夏の大会で全国レベルの記録を出して、とうとう全国大会へ。

 

 部活動を引退する際もらった寄せ書きには「お前にはほとほと参った」(顧問先生)と、書かれてありました。でも三男としてはなにも参るようなことをしていない。先生に反発して競い合うような気持ちは最初から全く持っていないのだもの。自分の好きなことを一生懸命にやってただけ。

  

 一昔前のように 全員で同じ価値観を共有して、ベクトルをあわせて同じ目標に向かっていくことが少なくなったのだと思います。中学生だもの「その競技が好きで、練習することが楽しい」だけで部活動に参加しても(顧問先生がそれを否定しているわけではない)いいじゃないかと思います。

 

 *推測理由・・・私何度か顧問先生にお会いして「この件」でお話ししました。

        (年に二回、父兄を対象にしたクラブ説明会があり、その後個別に話            

         しました。会話が苦手な私は一方的に聞いてるだけでしたが)