専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

タイのコンドーミニアムの話(3)

みなさん、こんにちは。

9月中旬になりましたが、まだまだ暑い日がつづきますね。

 

 さて。同タイトル(2)のつづきです。

夜中にバンコクからDさんとコンド―に帰ってきたダンナ。日付は13日金曜日なり、エントランスで時計を見ると、午前一時五分前だった。エレベーターを呼んだが最上階にいてなかなか降りて来ない。しかもやってきたのはーまるで狙いすましたかのようにー奥側(問題ありの右側)のエレベーターだった。

 

 「ちん」と鳴って扉が開く、ダンナーそのまま乗り込もうとしたDさんの腕を引っ張って止めた。「すいません、飲料水のボトルを取ってくるので少し待ってください」と。タイでは水道の水が飲めないので、飲料水(お水です)のボトル(1ガロン、約20kg)をウオーターサーバーの上にセットして使っている。

 

 本来ボトルは管理員に頼むと、台車で部屋まで届けてくれるが、この場合は時間を稼ぐためにー。ダンナどうしても午前一時をまたいでエレベーターに乗っていたくなかった。今でこそ「お化けがみたい!」と大騒ぎしてるダンナだがー、その当時は怖いの、気味悪いのダメ派で、出来る限り「そんな場面に遭遇したくない」と、思ってた。

 

 ところがDさん、ダンナが「エントランスの自販機で、水のペットボトルを買いたい」のと勘違い、「じゃあ、先に言って待ってますから、鍵貸してください」と。ダンナ「直ぐ取ってきますから、待っててください」と云ってたらー待機時間切れで「チン」と鳴ってエレベーターの扉が閉まりかけた。

 

 Dさん素早くエレベーターに乗って、10階のボタンを押した(ダンナからは見えない)。扉が閉まる寸前「上で待ってまーす」と。Dさんをのせて、エレベーターは上昇していくーそして、時計は午前一時に。ダンナ直ぐにボタンをおして左側のエレベーターを呼んだ。10階で降りると、Dさん、エレベーターホールで待ってた。

 

 ダンナさり気なくDさんの様子をうかがったが、エレベーターに乗る前と全然変わっていない。で、二人そのまま部屋に帰って寝た。朝、迎えに来た会社の車に乗り、昨日のお客さんをホテルまで迎えに行って、工場にご案内。お客さんは土曜日にシンガポールに戻り、Dさんは社内の打ち合わせがあったので日曜日に帰った。

 

 翌週Dさんから「お礼」のメールが来た。その最後に「酔ってたので、勘間違いかも?」と前置きがあり、以下、ダンナから聞いたメールの内容です。

 

 実はあの夜おかしなことがあった。エレベータ―が上昇して、階を表示する電光板(表示ボタンの上に付いてる)が6階になった時、エレベーター内の電気が消えて、箱がガクンと揺れて止まった。

 

 すぐに非常灯がついて、エレベーターがゆるゆると動き出した(停電とかの緊急時には一番近い階まで動き、扉が開く仕組みになってる)。Dさん、単純に停電かと思い、「6階か7階で止まるんだなぁ」と。で、エレベーターが止まると同時に電気が回復した。ドアが開いて下りようとして何気に電光板見たら「13」になってた。

 

 Dさん、この時このコンドーに13階がないのを知らなかった。で、また停電になったら嫌なので、エレベーターを降りて階段で10階に行こうとー。ちょうどエレベーターの向かい側に昇降階段があり、ドアが開くと、その昇降階段が見えるのですがー。階段の薄暗がりに背の高い人が立ってDさんの方を見てた。

 

 Dさん、時間も時間だし気味悪くなって、下りようかどうしようか迷ってたら、「チン」と鳴って扉が閉まった。そこでDさん、10階のボタンを押して、下りてきたとのことーそれで、あのコンド―なにか変な噂ありませんか?と。Dさん、次の日に13階がないのに気が付いて、度肝を抜けれた(けど、酔ってたので、自信がない)。

 

 ダンナ、それを読んで驚いた。けど、あのコンド―背の高い外国の人(欧米人中心)が多く住んでるし、ダンナも会ったことある。Dさんのメールには人相とか服装の詳細なかったけど。本国との時差の関係で、夜中の出入りも結構ある。電光板にしてもーもともと「13」表示を作っていたのが、停電でリセットされて点いたのかも。

 

 ダンナ、一言「へんな噂はありませんよ」と、だけ返信した。その後、Dさんの身の上に何か起こったということもなく。元気でお仕事をされているそうです(そろそろ定年)。ただ不思議なのは、ダンナは「停電に気が付かなかった」と言ってます。でも、設計構造の関係で同じ建物でも部分的に停電になることもあるしー。

 

 特にエレベーターとか安全設計で電気供給が同一配線ではなく、別配線(一方が止まっても、片方が動く?)になっている可能性もあるしー、まあこれは私の素人考えです。今となっては調べようがありません。その後、ダンナ帰国するまでそのコンド―に住んでましたが、以降何もなく、快適に暮らすことができたとー。