専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

大きくなったら、、、

 みなさん、こんばんわ
今日も一日スッキリとしないお天気でしたネ。

 長女が小学校低学年の頃です。
  
   「大きくなったら(将来)なりたいもの(職業)」の題で作文を書いてきました。
当時は、「パティシエ」「ケーキ屋さん」「お花屋さん」「ポケモンマスター?」
「先生」・・・なんかが人気でした。

 長女は、何になりたいのかなぁ?と、思って作文をみると、な、なんと
「わたしが(しょうらい)なりたいのは、『うちのおかあさん』です」と、書いてあるんですヨ。私、吃驚したというか、「えっ、なんで?」(訳が分からない?)が第一印象で。 
 
 本来なら喜ぶべきところなんでしょうが、私 真面目に母親やってなかったから、「こんな、私のどこがよくて、わたしになりたいの?」か、不思議でたまらなかった。でもそのあと理由を読んですぐに理解しました。

 こう書いてありました。
 「うちのおかあさんは いつでも じぶんがすきなときにゲームをしてあそんでいるから、わたしもおおきくなったらおかあさんになって、じぶんのすきなゲームをいっぱいやりたい。」
 
 そうなんです。その頃の私はゲームにはまり、一日中(夜中まで)ゲームをしていたんです。

 うちはスーファミ末期に初めてゲーム機を購入しました。特別な理由はありません。「もう少ししたら、もう少し安くなるかな?」って、購入時期を先延ばしにしていただけです。で、待ったかいがあって次機種ロク〇ンの販売が決定してドカーンと、スーファミの値段がさがりました。ここだ!と思い、中古品を購入しました。ソフトとか攻略本もまとめて数本、数冊と中古を購入しました。安上りでした。

 買ったのは次のソフト(はずれを買いたくなくて、人気があるのを選びました)
ドラ〇エⅤ、テトリ〇、ぷ〇ぷよ通、スーパー〇リオ、ファイナルファンタ〇ーⅤ
エリ○88
 どれもプレイしつくしました。特に「ドラⅤ」と「テトリ〇」にはスコーンと、はまりました。
 
 はじめは家事の合間にやってたのですが、そのうち子供が学校へいくと「一時間位ゲームしてから家事をやろう」と。でも、守れるはずもなく気が付いたらいつもお昼過ぎ、ひとりなので夕べの残り物で昼食をすまし、子供が帰ってくるまで一心不乱にコントローラーを操作。布団も敷きっぱなしだし、シンクには前日からの汚れた食器が積み上がり、掃除もしないものだから家の中はぐちゃぐちゃ(洗濯物だけは、全自動なので洗剤テキトーにいれてスイッチおすだけ、でも干すのは夕方)。

 子供が帰ってからやっと家事をはじめるという生活。夕食の後も、片付けせずにダンナが帰ってくるまでゲーム。 子供もその方が楽しいので(ゲームが見れる)文句言わず。子供をお風呂に入れて寝かせるとまたゲーム再開。ダンナが帰ってくると夕食のしたくだけして、「自分でよそってね。」って、ダイニングにダンナを残し、私はリビングでゲーム。ダンナもゲームが珍しいものだから、食事が終わると私のゲーム観戦、私得意になって覚えた裏技を「ねえ、見て、見て」と、ダンナに披露。
金、土はゲームでほとんど徹夜。

 とうとう、子供たちが学校から帰って来ても「早く、宿題やりなさい」でコントローラー手放さず。宿題終わって、子供たちがゲームはじめてもキッチンから子供がゲームやってるの見て、少しでも行き詰まると「ちょっと、お母さんに貸してみ」で、コントローラー横取り。だんだん夕食の時間が遅くなる。

 ゲーム三昧の生活、そりゃあ長女ももうらやましくなりますよねえ。
私のすごいところ(自分で言うか)は、長女の作文みて恥ずかしかったけど、その生活スタイルをかえなかったこと。普通なら反省して そんなでたらめな生活改めますようねえ。

 おかげでゲームの腕前ものすごく上がりました(スーファミ版です)。
・テトリ〇 ⇒ 最高レベル「S9」状態で30分プレイ可能。
       テト棒が雨のように降ってきます。
・エリ〇88 ⇒  難易度ハードで、二番目に高い戦闘機で、しかも最初の一人で
        最終ステージまで行きラスボスを倒せる。(猫ちゃんが出てくる)
・ぷよぷ〇通 ⇒ 難易度ハーデストで毎回「マスク・ド・サタン」に会える。
  (RPGは省略します。)
 (🙇これ実際にプレイした人でないと、何言ってるのかわからないと思います。)

 子供たちが面白がって友達に「うちのおかあさんゲームの達人」と、言いふらすものだから、みんな見に来て。わたしも得意になって(子供相手だとあまりおどおどしないので)ゲームの腕前を披露。単純にこどもら「スゴイ」と、感心してくれましたが、リアルタイムではやっているゲームではないので、ソフトへの興味はなし。
「あっ、これ古いやつ」「おにいちゃんが前にやってるの見たことある」てな具合。

 結構評判になって、こどもの通知表貰いに行ったとき 担任の先生がニヤニヤしながら「おかあさん、ゲームの腕前すごいんですよねえ。」と言われ、流石に顔から火が出るほど恥ずかしかった。その先生若くてリアルタイムでテトリ〇をプレイしていたそうで、どう頑張っても「レベル29」までしか行けなかったそうです。

 こんな私のゲーム生活はロクヨ〇買ってゼル〇の「ムジュ〇の仮面」をやりきるところまで続きました。勿論ロクヨ〇のマリ〇も全💛回収(お城の屋根のヨッ〇ーに会いました)。

 誰に注意されるわけでなく(母には内緒にしていた)、結局最後は飽きてやめてしまいました。今思い出すと「よくあんなでたらめな生活おくってたなぁ。」と、呆れてしまいます。今でも長女にからかわれます。私が徹夜でドラク〇やってたので
ドラクエの音楽が耳について離れなかったわ。」と。そのころ長女はリビングの隣の和室でねていた、、、、いつもドラク〇の夢を見ていたそうです。