専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

このまま結婚してもいいの?

  みなさん、こんにちは。
今日は天気がいいようですね。夜まで続いてくれたらうれしいのですが。

 若い時の出来事を、日記見ながら思い出し思い出し書いていると、気持ちが若返るようで、心のリフレッシュになってとてもいいですね。と、いうわけでさらに若返ろうと思います。

  お巡りさんの話でもうひとつ。
 
  その時の私の状況。
 
  私、ガッコ―行くようになったらどうしても一人暮らしがしたくって、でも何とか通えるところだったので、母が猛反対(父同調)して断念。あきらめきれず、どうしても実家逃げ出したくってダンナの結婚申し込みに飛びついて、「結婚する―」と、大騒ぎ。母怒りまくりで(この時の話は別に書きます)。いろいろありましたが、何とか結婚認めてもらい、正式に婚約して結納を交わしました。

 すぐ家を出れると、思ったのですが、ダンナの会社転勤が多くていつ転勤になるかわからない(もちろん、海外もあります)。で、会社から内示があって近々転勤するらしい(婚約したころです)。 私は、とにかく逃げ出したくて荷物送る用意してたら、ダンナから「転勤あるかも」でストップがかかりました。

 しかも、ダンナのアパート(当時住んでた)荷物の置き場所もないし、とても狭くて二人でくらせない。しかもお風呂もないし。「えっー、それだけは嫌。」次の転勤先で夫婦用のアパートさがすから、荷物もそこに送って、婚姻届け出して一緒に暮らそうということになりました。あ、甘かった。母に、無計画だと罵られました。

 で、結局私は実家で生活することに。母がこの機会に「炊事」「掃除」「洗濯」
「繕い物」家事覚えろと迫ってくるし(私 何もできない)、婚約したの秋で、遅くても次の春には家でれるかなぁと、思ってたら、「まだ行先きまらない」と、ダンナ。もう、私、母と一日中顔突き合わすの我慢できなくて(婚約したらすぐ暮らせるかと思って、ガッコ―休みにしました。)、春からダンナが転勤するまで「働きたい」と。母に直談判。

 実は私、OLにも少しあこがれていた。そこで「休んでても、授業料の支払いあるし、新生活の資金もためたい。」と、いつになく母を説得。妹も応援してくれて
な、なんとこんな私でも事務の働き先が見つかりました。というのは冗談でもちろんコネです(親戚が事業やっててその関係です)。まあ、父母も私の言うことも一理あると思ったのでしょう。ダメもとで、連絡とってくれました。もちろん、婚約してて
年内辞めるかもしれないとも伝えてもらいました。。

 ところが、世の中はバブル景気突入で、完全なる売り手市場、ほんと猫の手も借りたいぐらいの人手不足。しかも私珠算1級もってた。計算(暗算)だけは得意なのです。すでに計算機やパソコンがでまわってたのですが、その時はまだまだそろばんが通用する。私、準社員扱いで4月から、正規の新入社員の方々と一緒に入社することになりました。で3月末、入社前研修に行きました。(そこでどじりまくった話はまた書きます)。

 働き出すと、楽しくて(ほんとは周りに迷惑かけまくってた)、ガッコ―行ってる時より、毎日が充実してた。婚約してからは毎週、土、日ダンナのアパートに遊びに行ってた(それまでは、「絶対ダメ」と、母に止められてた)。母には、そこで炊事、掃除してるって言ってたけど、実際にはまったりと過ごしてただけ。で、働き始めてからは月2回くらいに。会社で知り合った女の子(同僚さん)なんかと遊びに行くようになってそっちの方が面白く(楽しく)なりました。なんかこのまま結婚するのもったいないなーと、いう考えが頭をかすめるようになりました。

 夏になって「秋に名古屋の事業所に行くことになった」と、ダンナから連絡があったとき、「えっ、このまま結婚してもいいのかなぁ。」と。変な話ですが、働くようになってから母ともなんかうまくいってたし。「せっかく仕事に慣れてきたし、このまま名古屋ついてったら後悔するんじゃないか。」と、悩むようになりました。
ダンナに結婚延期してもらえないだろうか?と。

 当然、名古屋行の件は父母に伝わりますから、私は年内いっぱいで退職で調整することに。家族で過ごすのが最後ということで、8月のお盆休みに父が帰って来て、
家族旅行に行きました。そこでもなんか母とうまくやれて。旅行中ずっーと「このまま結婚したくないなぁ」という考えが。

 8月末、私、意を決して今(そのとき)の気持ちダンナに伝えて、相談(私の中では結婚延期、名古屋にはダンナ一人でいってもらう)することにしました。

つづきます。お巡りさん出てこなかったですね。ーでも、出てくるんです。