専業主婦の徒然ぐさ

中学時代からン十年書き溜めた日記と画像を見ながら書いています

専業主婦は、お金が大切(ダンナがお金を増やした方法) 

 みなさん、こんばんわ。

 

 同じ主題で何度か記事を書きましたが、何回目か忘れてしまいました。今日はダンナがお金を増やした方法を簡単に書きます。今回記事にするにあたってダンナに話をききましたが、私あまり理解できていないので読みづらいと思います。お金のことについて苦手な方とかはスルーしていただいた方がいいと思います。

 

 ダンナは約25年間勤めた会社を退職した後、株式生活に入りました。私や子供たちと過ごす時間が欲しかったからです。株式生活と言っても、普段は取引しません。家にいてパソコンのチャートとにらめっこしてるわけではありません。私の手伝いや、子供の面倒を見ています。ダンナが取引をするのは毎年12月中旬から末にかけてのみです。

 

 ダンナのやり方はあくまでも長期保有です。東証一部の特定の銘柄を買い増して行く方式です。12月に保有している銘柄を一旦全部売却して、直ぐ同じ銘柄を買い戻す。税金対策も兼ねています。それだけでは株は増えませんが、ダンナの狙いは株式の分割です。それから、配当金は全て買い増しに充てていました。

 

 勤めている間は年末の売買はせず、ひたすら買い増し。もちろん貯金したりローンも返さないといけないのでそんなに買い増しはできません。でも、十年、二十年ともっていると時価が購入価格の十倍以上になってきます。退職した年の年末、保有株をみなし価格の特例を利用して全部売却し、当座の生活費を残して同じ銘柄を買い戻しました。

 

 証券会社から特定の株式に頼るのは危険とのアドバイスがあり、三分の一を投資信託にかえました。それから年末だけの売買が始まりました。サブプライム問題、ドバイショック、中国の経済成長の鈍化、リーマンショックギリシャ危機、地震円高など大幅に時価が下落した年もありましたが、保有数は少しづつ増えていきました。

 

 ダンナはもともとイケイケのタイプ(株式に関しては)なので、リーマンショックの時の「百年に一度の危機は、裏返すと百年に一度の大チャンス」の言葉を信じて(ブッシュ大統領が言った?)投資信託の額をいくらか増やしました。ほんとはもっともっと増やしたかったようですが、手持ちの現金がありませんでした。

 

 株式も現物取引だけだったので増やすことはできませんでした(私が大反対した)。

でも、政権が自民党になって株は上昇し始めました。平成24年~26年とかなり利益がでてきました。そして平成27年日経平均が21,000円を超えた時点で保有株・信託を全て売却しました。前年末簿価を更新していたにもかかわらず、すごい売却益が出ました。

 

 平成27年1月から夏までの、株の上昇率は半端じゃなかったと思います。それからダンナは株式から完全に手を引きました。また当座の生活費を残して、今度はある企業の債権(ダンナはクーポンと呼んでます)を大量に購入しました。以前も書きましたが、母はダンナと同じ株の銘柄を購入して儲けました。母はその株をまだ保有していてー

 

 「さらにあがりつづけている!」と、嬉しい悲鳴を上げています。ダンナは時々、以前登録していた株価照会のページを覗いているようです。それで私が「すこしくらいなら、また株買ってもいいよ」と、いっても「もういい。懲りたよ」と。やはり、ギリシャ危機と地震からの円高が、一番こたえたようです。

 

 ダンナは「なんとか利益が出せたのは、自分が『ラッキーだった』の一言に尽きる」と、言っています。「こんなもんはやるもんじゃない、まじめに働いて堅実に貯めるが一番だ」とも。でも、それは本心ではないかもしれません。ダンナ特有の謙遜とか皮肉とかー。ただ、家(うち)の経済状態はすごく安定しました。

 

 簡単に書くとこんなもんですが、ここまでくるのに実際にはもっともっと紆余曲折があり、ダンナが神経をすり減らすほど悩んでいたのも事実です。私はだた横で見ているだけでしたけど。だって説明されてもわからないし、今だってこの記事を書いていてもダンナの苦悩がどれほどだったのか理解できません(ワル嫁?)

 

 もしかしたらこれから、とてつもなくすごいこと(南海地震?)が起こって私たち家族の生活が一変するかもしれませんがー、現時点で私に分かることが一つあるとしたら、それはダンナの曽祖母さんの「観相見」はあたっていたということです(以前の記事を参照ください)。またまたダンナ自慢になってしまいました、もう寝ねますネ。